年が明けると言って
ナニカに区切りをつける
区切りをつけるナニカもない
そんなことに愕然とする
いるまで経っても小市民
年が明けると言って
ナニカに区切りをつける
区切りをつけるナニカもない
そんなことに愕然とする
いるまで経っても小市民
時間には限りがある
こうくると
いのちにも限りがある
と続けたくなる
人は言葉に毒されているんじゃないか…
限りがあるという知識が
限りあるからという使命感を生むんじゃないか
知識を待たないとしたら
シバリはなくなるんじゃないか
ここに存在していると
「概念」に溺れるしかないんじゃないか
何にも囚われない
そんなことはあるのだろうか…